お知らせ

アカデミックブラスアンサンブル・井手茂貴氏からのメッセージ

2008年12月に宮崎県立芸術劇場にて共演をした アカデミックブラスアンサンブルの代表・井手茂貴氏から 「アンドレ・アンリ氏との不思議な縁」とのタイトルの メッセージをいただきましたのでここで紹介させていただきます。

アンドレ・アンリの宮崎での様子はこちらをご参考ください。

http://www.stomvi.jp/report_no3.html

アンドレ・アンリ氏との不思議な縁

宮崎・井手茂貴

 2008年12月12日(金)、宮崎空港でアンドレ・アンリ氏を出迎えた。

 以前から私が主宰しているブラスアンサンブルの演奏会にアンリをゲストで招いてはという話があったが、正直言って本人と会ったこともなかったし、演奏も聴いたことがなかったためアンリに関して何の情報も持たなかった。(勿論、アンリも私がどこの馬の骨か!?わからない)しかし5月にヤマハミュージックトレーディング株式会社の津村良和氏とお会いしてからは、その話は一気に加速して7ヶ月後の宮崎での演奏が実現することになった。

井手茂貴氏とアンリ夫妻

 宮崎にはアンリと結婚して間もない聡子夫人も同行された。夫妻に、たどたどしい私のフランス語で挨拶をしたら、アンリから何故フランス語が話せるのかと尋ねられた。実は昔、フランスでトランペットを学んでいたことがあったと言ったら、先生は?と聞かれたので、ロジェー・デルモット氏(パリ・オペラ座管弦楽団)に習っていたと言った途端、アンリは大きい声を出して私にいきなり抱きついてきた。いったい何が起ったのかわからなかったが、アンリはロジェー・デルモットを一番尊敬している人とのこと。そのデルモットに学んだ者が宮崎にいるなんて!と。そして今、一緒に写真に入ってくれ、すぐにメールでデルモットに知らせたいと興奮した様子であった。今まで多くのゲストを招いていたが、空港に着くやいなやゲストから一緒に写真を取らせてくれと言われたのは初めてであった!

 その後、アンリからは当時のデルモットのことを事細かく聞かれ、またデルモットの写真などを見せたが、アンリは大変興味深く何度も見ていた。何せ1973年前後のこと。その頃、僕は4歳くらいだったとアンリがつぶやいていた。アンリがリヨンで師事した先生が、ロジェー・デルモットの弟子であったピエール・デュトーである。ここでアンリの才能が見出されたようである。

 話しているうちに、アンリが再度びっくりしたことがあった。私がコンセルバトワール受験前にフランスでの先輩にあたる杉木峯夫氏からジャン・ピロー氏(フランス国立放送管弦楽団)を紹介され、そこで3ヶ月ほど学んでいた。その時、スペインから来ていたトランペットの学生といつもレッスンが一緒になっていた。互いにフランス語がうまく話せず、ちょうど良い条件の友達となった。ジャン・ピローは、その学生に厳しく言うこともあったため、帰りはいつも彼を慰めるような形で一緒にコーヒーを飲んだり、彼のバイト先に行ったこともあった。その友達が、その後モーリス・アンドレに学び、バレンシアの音楽院の教授となってストンビの開発にも尽力したビンセンテ・ロペスである。アンリは、ロペスと一緒に学んでいたのか、と驚いていた。

 またアンリはN響の津堅直弘氏とも親交があり、昨年から長野県において「アンドレ・アンリ&津堅直弘トランペットアカデミー」を開催している。その津堅氏は私の同級生である。これも偶然であるが、またさらに聡子夫人は山口県出身の方。私も同じ山口県生まれである。

 アンリは、宮崎で素晴らしい演奏を披露した。1,000人の聴衆は、その音楽性豊かな演奏に酔いしれ、演奏会終了後の楽屋にはCDやサインを求める人が多く押しかけて来た。

 後日、アンリから連絡を受けたロジェー・デルモット師匠から手紙と最近の写真が数枚送られてきた。その内容は、アンリとの出会いを喜び、私との思い出や自分の近況を延々と綴った内容であった。アンリに感謝、感謝である!

 このようにアンリとは、なにかと不思議な縁があり、互いにどうしてもっと早く会えなかったのかと悔やむ次第!?であった。出会いは遅かったが、これからアンリとの交流は末永く続くことと思います。

参考まで

ロジェー・デルモット

1950年ジュネーヴ国際音楽コンクール優勝
元パリ・オペラ座管弦楽団首席トランペット奏者。元ベルサイユ音楽院教授。
この頃のパリ・オペラ座管弦楽団のトランペット奏者は、デルモットのほかピエール・ティボー、ベルナール・ジャンヌート、ベルナール・ガベルなど錚々たるメンバーであった。
現在、ロジェー・デルモット84歳、モーリス・アンドレ76歳。フランスを代表する両巨匠は、今も元気で過ごされている。